愛のサンバは永遠に  NAO DEIXE O SAMBA MORRER(サンバを死なせてはいけない)  
サンバの女王、アルシオーネ ALCIONEの傑作 。 
作詞・作曲 エジソン・コンセイサゥン Edson Conceicao & アルイージオ・シルバ Aloisio Silva 
この曲は彼女の’75年のデビューアルバムに納められシングルでも大ヒットした曲。 
フランスのポール・モーリアも大絶賛してこの曲を録音し、またアルシオーネに対しても讃辞を送り彼女のために「栗色の小鳥」という曲を創り、プレゼントしています。 
サンバの原点は、即興的な歌と手拍子によるリズムだけと言うシンプルなものだったようだ。 
アフリカから無理やりに連れてこられた奴隷や、元奴隷、その子孫達から自然発生的に生み出され、願いも込められたものとして発展したと言われる。 
従って、その根底に流れるものは深い悲しみであり、やるせなさ、故郷への切実な思慕感覚、心の中に息づく焼けつくような想いが込められていて、所謂「サウダージ」である。 
ブラジルの「サウダージ」とポルトガルのそれとは、意味として似て非なるものだとも言われている。 
サンバのリズムや踊りの激しさは、単なるバカ騒ぎではなく、深い悲しみや苦しみをもつ人たちがひと時でも忘れようとして、必然的に生まれ、発展したものだったのだ。 
簡易ギターやマッチ箱、皿を叩いたり引っ掻いたりと言うような音も加わり広がりを見せ、サンバのための曲も作られるようになり、やがてカーニバルにと大きくなって人々の生活に根付いてきて、メインストリートを練るメジャーの12団体、少し離れた通りで行進する第2~3軍まであると言われるマイナー団体が、装置や衣装の大仕掛けで華美や情熱を競い合うコンテストに発展して現在に至って居る訳である。 
サンバ・カーニバルを単なるお祭り騒ぎに終わらせない内容を保持するかのように、サンバ作家としても人々から尊敬され、敬愛されるサンバの神様と言われるような人たちが先導役となります。 
このような人たちを「バンバ」と言って、サンバの達人、指導者といっただれもが認める大立者だけが選ばれ、先頭委員会を構成しているようです。 
例としてあげるならば、みんな故人ですがカルトーラを筆頭として、ネルソン・カヴァキーニョ、カシャーサ、クララ・ヌネス、ギリェルミ等々のサンビスタ達。 
そして、日本で言うならば、阿波踊りの「連」でしょうか「エスコーラ」と呼ばれる団体の先頭に立つのである。 
 
あるがままのサンバは、オーケストラを入れないスタイルがブラジルのサンバの原点とされていましたが、このアルシオーネの頃からストリングスを加えたアレンジでのレコーディングになって行ったらしい。 
また、サンバのコーラスは基本的に斉唱であるが、マルチーニョ・ダ・ウラが初めて混声合唱を取り入れて革新的に発展させたりもして、伝統を生かしつつも新たなサンバへの挑戦をし続け、時代の先駆・前衛を目指しているようです。 
 
訳詞・歌 Sima 
Pf    江口純子   in 銀座 月夜の仔猫 
訳詞 no.128 (初稿) 
 
シャンソン・訳詞のチャンネル 
chanson de Sima (Sima World) 
https://www.youtube.com/user/fwhy3109/featured